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アート

はいさい!

 

カレンダーはもうじき12月...

寒いのが嫌で沖縄に移住したのは私、ハウスマスターの大石。

久米島の冬って、想像以上に冬の色が濃いんです。まだまだ気持ちの準備が追い付いていません。

 

さて、前回のブログで休日の過ごし方について書きましたが、今回もその続きから書き始めたいと思います。

島での休日、実は寮生と一緒に地域に出て活動する日も少なくありません。

最近はよくサンゴの保全活動をしたり、学童保育での交流イベントに参加したりしています。

 

その際の私は、寮生と同じように一人のプレイヤーとして存在しているつもりです。

島暮らし。

地域の方と接する中で「じんぶん館でハウスマスターやってます」と自己紹介すると、多くの方が興味を持ってくださいます。とても嬉しいことです。

じんぶん館やハウスマスターの中身を説明すると「寮生ってそんなことまでやってるの?高校生なのにすごいね!」と言われることもよくあり、これもまた嬉しい。

 

ただ、その誉め言葉にはずっと違和感のようなものがあって...

 正体が分からず時間だけが過ぎていたところ、最近とある本によって気付くことがありました。

「大人は高校生よりも優れている存在」という、当たり前といえば当たり前の考え方の存在です。

 

たしかに、様々な能力は年齢と比例して増えていくという観点で寮生を見ると、輝いて見えるはず。

高校生なのに自分で身の回りの家事をしたり、学校以外でも様々な活動をしたり、主体的にプロジェクトを進めたりしているのですから。

 

ですが私にはその感覚があまりフィットしなかったのかもしれません。

いまの彼らにしか見えないものがきっとあるはずで、いまの私はそれを一緒に見つめたいんだと思います。

 

大人だから教えるー高校生だから教わるという関係ではなく、横並びになって同じ方を向いて、一緒に歩くようなイメージです。

 

以前、島の学童で小学生と一緒にヤギのお散歩をしていた時のこと。

「ヤギってどんな葉っぱが好物なの?」と尋ねて返ってきたのは「大人なのにそんなことも知らないの?」という言葉でした。

想定外過ぎる角度からの返球に「そう、知らないんだよ~、大人になっても分からないことだらけ!」と笑いながら、

大人になるって何...?と深く息を吸い込んだのを覚えています。

また、先日寮生から学生時代のことを尋ねられ、高校生だった10年前のことを思い返す機会がありました。

 

音楽の聴き方や思い出の共有の仕方、モノの買い方やお金の出し方、今と違うことが多すぎて驚きました。

長いようで短いたった10年間で、世の中そして自分の生活はこんなにも大きく変わったんだなと感じました。

 

変化の激しい時代と言います。

今からまた10年後、私たちは何を見つめて、どんな生活をしているのでしょうか。

「生き抜くために必要な力も変化している、それに見合った教育を」という声もよく聞こえてきます。

新しい概念や聞き馴染みのないキーワードもたくさん生まれているように感じますが、あまり過敏にならないようにしたいなと感じます。

 

新しい=進化、とは限らないと思うのです。

大切なことってそんなに変わらないし、そんなに多くないと思うのです。

ずっとずっと受け継がれてきたことに自分の体温を宿して、自分なりの色や濃淡をつけながら生きていくのだと思うのです。

 

私自身もその途中ですし、問いは人の数だけあるはずので、誰かの答えを見つけてあげるなんて不可能。

なのでたまに私は、寮生の活動の内側にガッツリ入って、一緒に発見して感動して学習したくなるのかもしれません。

ハウスマスターとしてサポートするというより、自分事として本気でわがままに動く。

 

そのおかげか、いつも通りの中からでも学びに繋がりそうな何かしらをキャッチする感度が上がってきたような、そんな気がしています。

最後に、ピーマンを一番おいしく食べられるのは生のままだと最近分かったのですが...

これは大人になった証拠でしょうか。

 

 

ハウスマスター大石